小学校1年生になったある日、わが家に「不登校」がやってきた。
朝起きてすぐ、布団の上で悲鳴をあげるように泣いた息子。
「いったいどうしたの?」と聞いても「行かない!」と首をふり、理由は話さない。
私は必死に声をかけた。
「校門まで一緒に行くから」と頭をなでても「…いやだ」と答える息子。
ここで引いてはいけない。
「じゃあ、ほんの少しだけ行ってみようよ。楽しくなるかもよ?」と、息子の顔をのぞきこみながら言う。
やっと「…うん」と、力なくうなずいた。
息子もはじめは行かなくちゃと、私に連れられて重い足を引きずり校門へ向かった。
小さな体に、大きく重いランドセル。
遅い時間に通りを歩くのは、いつも私たちだけだった。
私だけが意気込んで、息子を励ましつづけた。
息子は歩くのが精いっぱいだったのに。
歩くこともできなくなり、自転車のうしろに乗せて登校した。
私は「学校に行けない子を育ててしまった」と、自分を責めた。
ある日、息子が無表情でキッチンのありとあらゆるものを壁に投げつけた。
ガチャン
おたまが宙に浮き、壁にぶつかって跳ね返った。
床にはフォークとスプーンも散らばっている。
次の瞬間、息子の手が台の上にあった包丁にのびた。
私は息をのんだ。
「・・・・・」息子は何もせず、黙って置いた。
いそいで息子にかけ寄り「もう学校は行かなくていいんだよ!」と抱き寄せた。
息子は「ごめんなさい、ごめんなさい」とワンワン泣き出した。
「もう行かせてはいけない。息子を守らなくては」
ここから私は、歩みなおした。
焦っていたのは親の私だ。
息子の気持ちより、自分の気持ちを優先させていた。
そして「息子の人生は、息子のものだ」と気がついた。
不安をかき消すように息子と公園で走り回った。
友人に辛さを聞いてもらってたくさん泣いた。
今だから自信をもって言えること。
「ひとりで抱え込まず、仲間と繋がろう」
あの頃は想像もできなかった、笑い声のある毎日。
次はあなたの番です。
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